常 設 展 示

浮 世 絵

写 楽 編

2025年6月25日〜8月8日

展 示 期 間 が 延 長 さ れ ま し た


寛政六年五月

突然 現われた大首の役者絵

写楽の錦絵は 蔦屋重三郎の企画で世に出現した

寛政六年といえば 寛政の改革が 失敗に終わった翌年のこと

重商主義 賄賂政治といわれた 田沼意次が失脚して

松平定信が老中首座となり 六年続いた質素倹約体制

贅沢禁止 風俗矯正令など 庶民の娯楽も ことごとく統制された

質素倹約政策によって 豪華絢爛も身を潜め

寛政五年十一月の 顔見世興行には

幕府公認 中村座 市村座 森田座 三座とも 不況の煽りを受け

いずれも 櫓を揚げる ことができなかった

翌 寛政六年初春興行は

都座 桐座 河原崎座の 控櫓三座による 静かな興行がはじまった

それでも 定信の失脚で なんとか歌舞伎を盛りあげようと

夏季興行の錦絵をして登場した 写楽の大首絵

二百年以上も前の 江戸文化を語る 彩色木版画が

もっとも有名で 日本を代表する作品となっている

写楽の浮世絵が 登場する背景には

歌舞伎不況を守り立てる 宣伝ポスターにすぎなかった

そう考えれば 定信のおこなった 質素節約令がなければ

写楽は 登場しなかったかもしれないし

蔦重の活躍も 現代の我々に 響かなかったかもしれない

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